ブタめん

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「第6回 著作権の歴史」

 はじめに

 

 こんにちは。

 

 前回は、著作権とは何ぞや?という内容で記事を書きました。著作権とは、つくった人、権利を持つ人、広める人、これらの人びとの権利を守るための法律なんだよー、ということを学びました。

 

 今回の記事では、著作権の歴史について述べていきます。著作権ってどういうものなのかは、何となくわかったぜと。じゃあ著作権の歴史って何なんだろう、著作権とはどうやって生まれたのだろう、ということが気になりました。これから、著作権の歴史について述べていきます。

 

 著作権の歴史

 

 印刷技術の発達と著作権法の誕生

 

 15世紀半ば、ドイツのグーテンベルクにより、活版印刷術が実用化されました。従来の印刷技術よりも、容易に印刷ができるようになりました。これにより、聖書などの文書の大量生産が可能となり、思想の伝達も格段にスピードアップしました。このことは、後のルネサンス宗教改革にも大きな影響を与えることになりました。印刷技術の発達は、ヨーロッパ社会を大きく変える要因のひとつとなりました。

 

 18世紀初頭、イギリスでアン女王法が制定されました。このアン女王法は、現在の著作権法の原型といえるものでした。この法律によって、著作者の権利が認められ、著作権の有効期間が定められました。アン女王法をうけて、19世紀中には、ヨーロッパ諸国で著作権の整備が進みました。

 

 ベルヌ条約

 

 しかし、その後もヨーロッパでは、国をまたいだニセ本(海賊版)の流通が止まりませんでした。お隣の国でウケてる作品を自国の言葉に翻訳して、勝手に出版する輩がウジャウジャいたのです。現代でも、ネット上に無断で他人の作品をアップロードしている人がたくさんいます。歴史を学ぶと、人類は進歩しているのかしていないのか、わからなくなる時があります。話が脱線してしまいましたので戻します。19世紀のヨーロッパでは、海賊版の出版が横行していました。『レ・ミゼラブル』などで知られるフランスの小説家ヴィクトル・ユゴーも、海賊版に頭を悩ませていました。政治家でもあったユゴーは、国際文芸協会を設立しました。著作権のことを国際的な外交問題・社会問題として訴えようとしたのですね。

 

 ユゴーの死から1年後の1886年ベルヌ条約(万国著作権保護同盟条約)が制定されます。スイスのベルン(ベルヌ)で作られたことから、ベルヌ条約と呼ばれています。世界初の、著作権の国際ルールが誕生しました。現在の加盟国は約180ヵ国です。日本は1899年にこの条約に加盟しました。ちなみに、日本がアジアで最初のベルヌ条約加盟国です。このベルヌ条約では、無方式主義(著作権の発生に登録などの方式を必要としない主義)の採用、著作者人格権(つくった人のみに認められる権利)の承認、著作権の保護期間を著作者の死後50年とする、などの特徴があります。日本もベルヌ条約に加盟しているので、日本の著作権法も、ベルヌ条約に準拠したものです。以下に、ベルヌ条約を引用します。

 

第5条(2)

「権利の享有及び行使には、いかなる方式の履行をも要しない。」(註1) 

 

 ⇨著作権の発生と著作権を使いたい場合については、いかなる申請や手続きも必要ないぜ、ってことを言ってます。これを無方式主義と言います。

 

第6条の2(1)

「著作者は、その財産的権利とは別個に、この権利が移転された後においても、著作物の創作者であることを主張する権利及び著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利を保有する。」(註2)

 

第6条の2(2)

「(1)の規定に基づいて著作者に認められる権利は、著作者の死後においても、少なくとも財産的権利が消滅するまで存続し、保護が要求される国の法令により資格を与えられる人又は団体によつて行使される。」(註3)

 

 ⇨つくった人(著作者)が、著作権(ここで言う著作権とは財産権のこと、作品を使うならオレに金払えよとか言える権利)を他人に譲ったりしても、①コレは私の作品ですと主張したり、②勝手に改変しないでくださいと言えたり、③無断で作品を使われたり改変されたりして、自身の名誉が傷つけられたりしたら、訴えてやるぞと言えたりする権利のことです。これらつくった人のみに認められる権利を著作者人格権と言います。そしてこの権利は、つくった人が亡くなった後も、著作権(財産権)が消滅するまでは著作権(財産権)同様、保護されるべきだよねーって言ってます。

 

第7条(1)

「この条約によつて許与される保護期間は、著作者の生存の間及びその死後五十年とする。」(註4)

 

 ⇨ベルヌ条約が定める著作権の保護期間は、(作品を)つくった人が生きている間、またはつくった人が死んでから50年ですと言ってます。ちなみに、日本や欧米を含む多くの国では現在、著作権の保護期間は、著作者の死後70年とされています。

 

 広める人たちの権利も認められた

 

 さらに1961年、ローマ隣接権条約で、著作隣接権が国際的に認められます。著作隣接権とは、演じたり放送したりして、作品を広める役割を担う人たちが持つ権利のことです。作品が世に知られて、多くの人たちに支持されるのは、演じたり放送するなどして、作品を広める人がいるからですよね。だから、つくった人(著作者)や権利を持つ人(著作権者)だけじゃなくて、広める人(著作隣接者)の権利だって守ろうよ、ということになりました。ちなみに、日本はやや遅れて1989年に加入しました。

 

 国際的な統一は現在進行形で続いている

 

 ベルヌ条約は、その後数回にわたり改正されています。しかし、すべての加盟国が改正を認めているわけではありません。ベルヌ条約はヨーロッパで生まれたモノです。ヨーロッパ中心の考えを勝手に押しつけるなよと、反発している国もあるのです。

 なかでもアメリカおよび中南米諸国は、方式主義を採用している国々が多数を占めています。方式主義とは、権利の発生などに何らかの方式(手続きや登録)が必要だとする考え方です。前述のように、ベルヌ条約で定める著作権の原則は無方式主義(権利の発生に申請や登録は要らないぜ主義)です。このため、アメリカなど米大陸の国々は、ベルヌ条約とは別に、独自の著作権協定を結んでいました。

 

 そこで、ベルヌ条約アメリカ大陸諸国との調整のために、1952年には万国著作権条約が成立し、1970年にはWIPO世界知的所有権機関)が発足しました。WIPOは1974年、国連専門機関となりました。万国著作権条約WIPOはともに、方式主義をとる米大陸諸国と、無方式主義をとるヨーロッパ諸国との間の調整を目的として誕生しました。日本も旧著作権法を全面改正して、これらに加盟しています。しかし現在でも、各国間の調整に難航しているようです。

 

 時代に合わせて変わってきた

 

 1950年代から60年代には、テレビが一般家庭にも普及し始めました。1970年代から80年代には、コピー機やテープレコーダー、ビデオデッキ、ファクスやワープロなどが、広く普及しました。1990年代から2000年代(ゼロ年代)には、パソコンや携帯電話などが、多くの人びとに受け入れられました。2010年代には、ブログや動画サイト、SNSなどの普及で、誰でも簡単に、創作者・発信者になれる時代になりました。

 技術の進歩とともに、誰でも簡単にコピー(印刷・録音・録画など)ができる時代となりました。録音したカセットテープ、録画したビデオテープの貸し借りが日常的な光景となれば、私的使用の範囲ならまあいいでしょうと著作権法が改正されました。パソコンや携帯電話でみんなが動画や音楽を楽しむ時代となれば、勝手に他人の作品をネット上にアップロードしたり、そうしたモノをダウンロードするのも、全面的に認めませんよとなりました。動画サイトでゲーム実況が流行れば、ゲーム実況に関するガイドラインが制定されたりしました。さらに現在、AI(人工知能)と著作権の関係という新たな課題も発生しています。時代の変化に合わせて、著作権の在り方も変わってきているのです。

 

 おわりに

 

 今回の記事では、著作権の歴史について述べてきました。著作権の歴史は、印刷の普及とともに始まりました。海賊版流通、コピー技術の一般普及などの社会問題、そして国際的な統一やAIとの関係などの現在的課題が明らかになりました。後半などはやや駆け足となってしまいましたが、役に立った、面白かったと感じてくれれば幸いであります。

 

 次回も著作権について書く予定です。

 

 ではまた。

 

 

 

 

(1)「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約パリ改正条約(抄)」

 『公益社団法人著作権情報センター』最終閲覧2024年3月29日 

 (https://www.cric.or.jp/db/treaty/t1_index.html)。

(2)同前。

(3)同前。

(4)同前。

 

 参考文献

 

宮武久佳『正しいコピペのすすめ』岩波書店、2017年。

広辞苑』第6版。

『ブリタニカ国際大百科事典』

『百科事典マイペディア』

『ビジュアル大世界史』日経ナショナル ジオグラフィック社、2007年。

『ビジュアル科学大事典』日経ナショナル ジオグラフィック社、2008年.。

 

※『正しいコピペのすすめ』以外の参考文献は、筆者所有の電子辞書EX-word内臓の物を使用。

 

 参考資料

 

著作権の歴史 聖書印刷からビッグデータ活用に至る軌跡を丁寧に解説」

コンプライアンス研究所』最終閲覧2024年3月29日

https://compliance.lightworks.co.jp/learn/copyright-history/)。

 

著作権の始まり」『歴史に学ぶ知的財産権』最終閲覧2024年3月29日

https://sojo.yamanashi.ac.jp/bul/final97/contents/fujihara/l013.html)。

 

著作権法第30条」『e-Gov法令検索』最終閲覧2024年3月29日

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048)。

 

著作権法第30条第1項3号」同前。

 

著作権法第51条第2項」同前。

 

著作権法第119条第2項4号」同前。

 

 

 

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